逃げ恥の主人公である「津崎平匡(つざきひらまさ)」は、とあるIT企業に勤めるプロの独身である。
(人生という物語の)主人公である「私(わたし)」も、とあるIT企業に勤めるプロの独身である。
では、なぜ「私」は「津崎平匡」になれないのか?その謎を解明する。
逃げ恥が終わってだいぶ経ちましたが、今さら「森山みくり*1」の可愛さに悶絶したので記事にします。
#そして、数年後この記事を見てまた自分に対して悶絶するだろう…。
「逃げるは恥だが役に立つ」見視聴の方は、まずは一緒にみくりちゃんの可愛さに悶絶しませんか?
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はじめに
この記事では「私」が「津崎平匡」になれない5つの理由を順に説明していきます。
理由1. 架空の人物だから
その話は置いておこう。あくまで平匡さんとみくりちゃんが現実にいるという仮定で話を進めよう。
理由2. センスがいいから
平匡さんの部屋の家具の統一感はすごい。が、ほとんど大塚家具だそうで…。
そのような財力は私にはない。そして、家具を選ぶセンスもだ!
理由3. 働き方が違うから
平匡さんはBtoB系のエンジニアであり、コミュニケーション能力が必要とされる職場にいた。
また、ドラマ中での人事評価も高く、資格によりその技術力を確かなものにしている。
対する私はBtoB向けではないが、エンジニアという共通項は持っている。
また、資格も「FE、AP、ES」とひと通り持っている。とりあえず、持っている。
おそらく、違いは評価に値する仕事ができているか、そうでないかだろう。
資格を持つことが目的ではない。仕事に還元してこそ資格に価値が生まれる。
資格に値する技術力があるか、仕事をこなせる力量は自分にあるか。たぶん、まだ足りない。
コミュニケーション能力については、自分で評価できないため比較しない。
理由4. 向上心があるから
本棚に並べられた本は、その人が歩んできた人生の一面を映していると思う。
平匡さんの本棚は、エンジニアとして向上心を持って歩んできたことが見えるように思う。
少し話は変わるが、エンジニアとして求められる人材像はT字型であると私は思っている。
基礎的な技術や仕事の取り組み方を備えたうえで、専門性の高い技術を保ち続ける向上心を持つ。
それこそが、技術者でありモノづくりのプロフェッショナルとしてあるべき姿だろう。
しかし、向上心と労働時間は反比例する。長時間労働により向上心はゼロに漸近していく。
今の自分はひたすらにゼロに漸近している状態だ。平匡さんはどうだったのか。
#自分よりももっとひどい状況の人がいることもわかる。
理由5. 価値観が違うから
逃げ恥は家事代行としてみくりちゃんが平匡さんと雇用契約を結ぶところから始まる。
平匡さんは、家事を代行してもらうことに価値について理解しているのである。
しかし、私はそうでなかった。
価値を理解するにはその苦労を自分が体験する必要があると私は思う。
そういう意味で多くのものに価値観を見いだせる人は経験が多く、人として成熟しているのだろう。
若いうちは苦労するべきだという大人は、苦労から得られる価値を示すべきではないか。
そうすれば、おのずと自らの力でその苦労を乗り越え、価値を理解できるだろう。
#最近、料理を自分でするようになりようやく親の苦労やありがたみが表面的であるがわかった。
おわりに
「私」は「津崎平匡」にはなれない。
しかし、「私」は「私のなりたい私」になるため努力することはできる。
結局のところ、「誰か」を羨むより「私」を認めることが大切ではないだろうか。
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